長崎観光タクシー【3時間・Bコース】 Course

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3時間B普通車 貸切料金 11,700円
市内~原爆資料館~爆心地~平和公園~如己堂~浦上天主堂~一本橋鳥居~二十六聖人殉教地~諏訪神社~鳴滝塾(シーボルト記念館)~聖母の騎士(ルルド)~眼鏡橋~市内

原爆資料館

原爆資料館
原爆の脅威と平和を体感できる

昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域に原子爆弾が投下され約15万人の人々が命を落とした。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されている。
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平和公園平和公園 平和を願う祈りの空間

原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園。ここには長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートルの平和祈念像が立つ。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めた。

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如己堂如己堂 永井隆博士の精神を宿す記念館

医学博士であり敬虔なカトリック信徒だった永井隆博士は、長年取り組んでいた放射線の障害を受け、被爆前にすでに白血病を患い余命3年の宣告を受けていた。原爆によって愛妻を亡くし、自分もまた被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と発表を続けた博士。寝たきりとなってからは如己堂(にょこどう)と名付けた2畳一間の部屋に子ども達と住みそこで原爆、人間、愛、平和に関する多数の著書を執筆。

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浦上天主堂浦上天主堂
弾圧に苦しんだ浦上信徒が築く

浦上天主堂の建設計画は、明治6年(1873)、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって行なわれた。しかし、なかなか資金が集まらず20年余りの時を経た明治28年(1895)、やっとフレノ神父の設計による教会の建設が開始する。そして大正3年(1914)、東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられた。

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一本柱鳥居一本柱鳥居 原爆の脅威を伝える鳥居

山王神社の参道には、一本柱鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居がある。もともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけは片方の柱を残し今も同じ場所に立っているのだ。左片方の柱の残骸は、一本柱鳥居の奥に置かれ見ることができる。また、境内には被爆したクスの木が残っている。

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二十六聖人殉教地

日本二十六聖人殉教地

豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘。
キリストが十字架に架けられたゴルタゴの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれている。26聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑された。

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諏訪神社鎮西大社 諏訪神社 長崎くんちの大舞台

長崎市民から“お諏訪さん”と親しまれる長崎鎮守の神社は、秋の神事「長崎くんち」の大舞台だ。弘治の頃(1555~57)、信濃の諏訪社から御霊分けされ、当初現在の寺町にある長照寺付近に祀ってあったといわれている(その名残としてこの辺りは現在も諏訪町という)。

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シーボルト記念館シーボルト記念館 鳴滝塾跡に隣接

鳴滝川が流れる閑静な住宅地に突如現われる洋館。ここはシーボルトの愛用品や功績を今に伝える記念館。建物はオランダにある彼の旧宅、玄関は祖父カール・カスパル宅を復元したものだ。シーボルトが門弟達に医学を教え、自らは日本研究に没頭した鳴滝塾跡(シーボルト宅跡)に隣接している。

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聖母の騎士(ルルド)

聖母の騎士(ルルド) 聖コルベ記念館

正式には、コンベンツアル聖フランシスコ聖母の騎士修道院といいます。
昭和5年(1930年)4月、ポーランド人コルベ神父とゼノ修道士等4名が来崎し「聖母の騎士」誌(月刊)を発行して宣教活動をはじめ、翌6年、日本人司祭養成のため聖母の騎士神学校を創立しました。このコルベ神父が、ナチスのアウシュビッツに投獄され、収容者の一人で妻子ある死刑囚のガヨヴィニツェックさんの身代わりを申し出て殉教したのです。見ず知らずの他人の為に命を捧げたのです。コルベ神父の遺品等が展示してあります。

■ルルドの聖水
ルルドとは、フランスの町の名前です。この町の少女ベルナテッタが聖母マリア様から足元の土を掘るようにと言われ、掘ってみたら泉が湧き出て、その水が沢山の病気を治す奇跡の水だったのです。コルベ神父が、長崎にやって来てここの山頂に作ったのがこのルルドの泉です。被爆にあった永井隆先生が手術しても治らなかった時この水を飲んだそうです。そうすると不思議な事に治り「マリア様の恵みが現実に私にも与えられた」と日記に記しておられます。

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眼鏡橋眼鏡橋 日本最古のアーチ式石橋

17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。

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