その昔、ポルトガル船やオランダ船が東洋に来る時は、季節風(台風)を利用する帆船であったため、当然ながら海は時には荒れ狂い、敵対国に遭遇すると戦闘が始まる。
そして疫病の発生。こういう試練を乗り越えての命を賭けた大航海だったのです。夢にまで見た日本の長崎、これらの人々の目にまず映ったのは島原半島の普賢岳であり、「オー!ニッポン山」と呼んで、日本到達を確信したそうです。
このマリンコースでは、彼等が見た青い海に囲まれた緑の大地の長崎半島の海岸線を通り、標高198mの権現山展望台からは、雲仙の普賢岳、天草諸島、五島灘端島(軍艦島)などを眺望しながら説明し、長崎民謡「浜節」を歌います。