長崎観光タクシー【6時間コース】 Course

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長崎観光タクシー|6時間コース

普通車 貸切料金 23,400円
市内~大浦天主堂~グラバー園~オランダ坂~孔子廟~出島商館跡~思案橋・丸山~崇福寺~風頭公園(竜馬像)~亀山社中~鳴滝塾(シーボルト記念館)~興福寺~眼鏡橋~諏訪神社~二十六聖人殉教地~片足鳥居~原爆資料館~爆心地~平和公園~如己堂~浦上天主堂~市内

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する大浦天主堂
大浦店主堂 日本最古の木造教会

元治元年(1864)に竣工し、翌年に献堂式がおこなわれた大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。パリ外国宣教会が派遣したプチジャン、フィーレのフランス人両神父によって西坂の丘で殉教していった26聖人へ祈りを捧げるために建てられた教会堂だ。そのため、その正面は西坂の丘に向けられ建てられている。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内するグラバー園
グラバー園 居留地時代の風情が残る

四季を通じ様々な花が咲き誇る緑に包まれたグラバー園は、眼下に広がる長崎港の大パノラマを見下ろす絶景地、南山手の丘に立地している。昭和32年(1957)、三菱重工業株式会社長崎造船所より旧グラバー住宅及び庭園の寄贈を受け一般公開した後、外国人居留地であったこの地に元々あった国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元。昭和49年(1974)に、「グラバー園」として開園した。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内するオランダ坂
オランダ坂 異国情緒漂う居留地跡の坂

東山手の丘に建つミッションスクール、海星高校体育館の登り口に「英国聖公会会堂跡」の記念碑が石垣に埋め込まれている。ここは文久2年(1862)、日本初のプロテスタントの会堂・英国聖公会会堂が建設された場所。出島に住むオランダ人の影響か、開国し、オランダ人以外の外国人が長崎の町に移住した居留地時代を迎えても、長崎の人々は西洋人を「オランダさん」と呼んでいた。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する孔子廟
孔子廟 中国歴史博物館

明治26年(1893)建立。中国人が海外で建造した唯一の孔子廟。中国政府、山東省曲阜(きょくふ)孔子廟の助力を受けた昭和57年(1982)の改築によって、中国華南と華北の建築様式が合体したユニークな廟宇が誕生した。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する出島商館跡
出島商館跡 鎖国時代唯一世界に開かれた

出島は、寛永13年(1636)、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために徳川幕府が築いた扇形の人工の島。しかし、寛永18年(1641)には幕府の命令で平戸に置かれていた和蘭商館が出島に移転。その後、218年もの間“鎖国期における世界に開かれた唯一の窓”としての役割を果たした

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する思案橋
思案橋 往来者が行こか戻ろか思案した橋

路面電車の思案橋電停、道路をはさんだ両側に橋の欄干を模した思案橋跡の碑が建てられている。この付近にはかつて川が流れ、花街時代、遊廓へ“行こか戻ろか”と思案したので名付けられたという思案橋が架かっていた。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する崇福寺
崇福寺 西日本随一の文化財を誇る唐寺

日本最古の興福寺に遅れること9年、寛永6年(1629)に長崎在住の中国福建省の人達によって建てられた。そのため古くは福州寺とも呼ばれていた。一つの寺でこれだけの文化財を擁するのは京都や奈良を除けば西日本随一という崇福寺。全部で21もの文化財がある。なかでも長崎にある3つの国宝のうち、2つ(大雄宝殿(だいゆうほうでん/本堂)、第一峰門)がこの崇福寺にあることにも注目したい(もうひとつは大浦天主堂)。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する風頭公園の竜馬像
風頭公園(竜馬像) 長崎市街地を見渡せる

園内には全国の有志からの募金によって建立された坂本龍馬之像や、地域の歴史を生かしたまちづくりに取り組む「亀山社中ば活かす会」の皆さんが、作家・司馬遼太郎の長崎における足跡の確認と文学顕彰を目的に建立した『竜馬がゆく』文学碑もあり、素晴らしい風景と共に龍馬の世界に触れることができる。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する亀山社中
亀山社中跡 日本初のカンパニー

亀山社中とは慶応元年(1865)、薩摩藩などの援助によって土佐の浪人・坂本龍馬が設立した貿易商社。長崎・伊良林の亀山という場所に同志と組織した日本初の商社のことだ。顔ぶれは長岡健吉、近藤長次郎、陸奥陽之助、沢村惣之丞など龍馬と共に幕末の激動期を生きた志士達。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内するシーボルト記念館
シーボルト記念館 鳴滝塾跡に隣接

鳴滝川が流れる閑静な住宅地に突如現われる洋館。ここはシーボルトの愛用品や功績を今に伝える記念館。建物はオランダにある彼の旧宅、玄関は祖父カール・カスパル宅を復元したものだ。シーボルトが門弟達に医学を教え、自らは日本研究に没頭した鳴滝塾跡(シーボルト宅跡)に隣接している。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する興福寺
興福寺 日本最古の黄檗禅宗の唐寺

日本初の黄檗宗の唐寺である興福寺は、中国・明の商人が長崎と行き来をはじめた頃に渡来した中国人が元和6年(1620)、航海安全を祈願してこの地に小庵を建てたことが起源となっている。そして、当時は幕府のキリスト教禁令が激しく長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、興福寺を筆頭に仏教徒であることを証明するために次々に唐寺が建てられていった。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する眼鏡橋
眼鏡橋 日本最古のアーチ式石橋

17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する諏訪神社
鎮西大社 諏訪神社 長崎くんちの大舞台

長崎市民から“お諏訪さん”と親しまれる長崎鎮守の神社は、秋の神事「長崎くんち」の大舞台だ。弘治の頃(1555~57)、信濃の諏訪社から御霊分けされ、当初現在の寺町にある長照寺付近に祀ってあったといわれている(その名残としてこの辺りは現在も諏訪町という)。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する二十六聖人殉教地
日本二十六聖人殉教地

豊臣秀吉によるキリシタン禁止令により、1597年2月5日京阪地方へ伝導していたフランシスコ会宣教師6人と日本人信徒20人が処刑された丘。
キリストが十字架に架けられたゴルタゴの丘に似ていることから、信者達がこの地を処刑の場に願い出たのだといわれている。26聖人の殉教以降も多くの人々が“火あぶり”“水責め”“穴吊り”といったむごい手段でもってこの地で処刑された。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する一本柱鳥居
一本柱鳥居 原爆の脅威を伝える鳥居

山王神社の参道には、一本柱鳥居と呼ばれ親しまれている鳥居がある。もともとは4つあった鳥居のうちこの鳥居だけは片方の柱を残し今も同じ場所に立っているのだ。左片方の柱の残骸は、一本柱鳥居の奥に置かれ見ることができる。また、境内には被爆したクスの木が残っている。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する原爆資料館
原爆資料館 原爆の脅威と平和を体感できる

昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域に原子爆弾が投下され約15万人の人々が命を落とした。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過、被爆から現在までの長崎の復興の様子、核兵器開発の歴史、そして核兵器のない平和希求までがストーリーを持たせわかりやすく展示されている。

長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する原爆落下中心地公園
原爆落下中心地公園

昭和20年(1945)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられている。園内には被爆当時の地層が残されているが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、約3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没している。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する平和公園
平和公園 平和を願う祈りの空間

原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園。ここには長崎市民の平和への願いを象徴する高さ9.7メートルの平和祈念像が立つ。制作者の長崎出身の彫刻家北村西望氏はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いを込めた。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する如己堂
如己堂 永井隆博士の精神を宿す記念館

医学博士であり敬虔なカトリック信徒だった永井隆博士は、長年取り組んでいた放射線の障害を受け、被爆前にすでに白血病を患い余命3年の宣告を受けていた。原爆によって愛妻を亡くし、自分もまた被爆による白血病と戦いながら死の直前まで原子病の研究と発表を続けた博士。寝たきりとなってからは如己堂(にょこどう)と名付けた2畳一間の部屋に子ども達と住みそこで原爆、人間、愛、平和に関する多数の著書を執筆。


長崎観光タクシー長崎全日空ホテルグラバーヒル専属光富個人観光タクシーがご案内する浦上天主堂
浦上天主堂 弾圧に苦しんだ浦上信徒が築く

浦上天主堂の建設計画は、明治6年(1873)、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって行なわれた。しかし、なかなか資金が集まらず20年余りの時を経た明治28年(1895)、やっとフレノ神父の設計による教会の建設が開始する。そして大正3年(1914)、東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられた。

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