普通車 貸切料金 11,700円

四季を通じ様々な花が咲き誇る緑に包まれたグラバー園は、眼下に広がる長崎港の大パノラマを見下ろす絶景地、南山手の丘に立地している。昭和32年(1957)、三菱重工業株式会社長崎造船所より旧グラバー住宅及び庭園の寄贈を受け一般公開した後、外国人居留地であったこの地に元々あった国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅を核に、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築復元。昭和49年(1974)に、「グラバー園」として開園した。

東山手の丘に建つミッションスクール、海星高校体育館の登り口に「英国聖公会会堂跡」の記念碑が石垣に埋め込まれている。ここは文久2年(1862)、日本初のプロテスタントの会堂・英国聖公会会堂が建設された場所。出島に住むオランダ人の影響か、開国し、オランダ人以外の外国人が長崎の町に移住した居留地時代を迎えても、長崎の人々は西洋人を「オランダさん」と呼んでいた。

孔子廟は明治26年長崎華僑の募金と清国政府の後援で創設され、世界四聖人の一人孔子を祀っております。日本には5ヶ所孔子廟がありますが、その中でも長崎の孔子廟だけが中国の人により造られたものです。しかし原爆により破損し、1967年、1983年と資材や石像を、香港・台湾・中国から購入して改装したのが現在の孔子廟です。中に入ると、中国風な雰囲気があります。

出島は、寛永13年(1636)、ポルトガル人によるキリスト教布教を禁止するために徳川幕府が築いた扇形の人工の島。しかし、寛永18年(1641)には幕府の命令で平戸に置かれていた和蘭商館が出島に移転。その後、218年もの間“鎖国期における世界に開かれた唯一の窓”としての役割を果たした。

路面電車の思案橋電停、道路をはさんだ両側に橋の欄干を模した思案橋跡の碑が建てられている。この付近にはかつて川が流れ、花街時代、遊廓へ“行こか戻ろか”と思案したので名付けられたという思案橋が架かっていた。

日本最古の興福寺に遅れること9年、寛永6年(1629)に長崎在住の中国福建省の人達によって建てられた。そのため古くは福州寺とも呼ばれていた。一つの寺でこれだけの文化財を擁するのは京都や奈良を除けば西日本随一という崇福寺。全部で21もの文化財がある。
なかでも長崎にある3つの国宝のうち、2つ(大雄宝殿(だいゆうほうでん/本堂)、第一峰門)がこの崇福寺にあることにも注目したい(もうひとつは大浦天主堂)。

園内には全国の有志からの募金によって建立された坂本龍馬之像や、地域の歴史を生かしたまちづくりに取り組む「亀山社中ば活かす会」の皆さんが、作家・司馬遼太郎の長崎における足跡の確認と文学顕彰を目的に建立した『竜馬がゆく』文学碑もあり、素晴らしい風景と共に龍馬の世界に触れることができる。

亀山社中とは慶応元年(1865)、薩摩藩などの援助によって土佐の浪人・坂本龍馬が設立した貿易商社。長崎・伊良林の亀山という場所に同志と組織した日本初の商社のことだ。顔ぶれは長岡健吉、近藤長次郎、陸奥陽之助、沢村惣之丞など龍馬と共に幕末の激動期を生きた志士達。

元和9年(1623年)中国の南京地方の船主達の寄付によって建てられたもので「南京寺」ともいい、日本初の黄檗宗の唐寺で長崎の三福寺の一つです。舶来唐人は、キリシタンで無いという事と先祖の菩提を供養するという理由で海上安全を祈って媽祖堂を建て天妃を祀ったのです。隠元禅師が持参した豆(隠元豆)を栽培したのはここです。

17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。