開国前後から唯一の貿易港であった長崎には、海外からの外国人や諸国からの日本人がやって来ました。外国人が教師となり、日本人を教育したのです。その教師が、カッテンディーケ、ペルスライケン、シーボルト・ドーフ、フルベッキ、レオン・ジュリーヘンリースタウト等であり、生徒が、勝海舟、坂本竜馬、榎本武揚、高野長英、二宮敬作などです。そして、この人達がその後の日本を導いた偉人であり、その思い出の場所を御案内します。
普通車 貸切料金 7,800円
市内~思案橋・丸山~大徳寺大楠~風頭公園(竜馬像)~亀山社中~鳴滝塾(シーボルト記念館)~諏訪神社~眼鏡橋~市内
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思案橋 往来者が行こか戻ろか思案した橋
当時、長崎の丸山は日本四大遊郭の一つであり、そこへ遊びに行くには大金がいる、一方家では女房や子供がお腹をすかして待っている。どちらにしようかと散々悩んだ場所の橋が、行こか戻ろかの思案橋です。
それから、坂本竜馬の刃傷で有名な料亭の花月もこの丸山の中にあります。
☆長崎甚句花あ~のお~丸山あ~あ~
恋路のお~里にい~
行こうかあ~戻ろうかあ~あ
イヨ!思案あ~ん橋しい~い。
道中歌います。
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大徳寺 寺もないのに大徳寺の名が付く公園
大徳寺境内にある県下第一の楠の巨木で県指定天然記念物です。樹齢は約800年で根回り23.35m・目通り幹12.55mもあり、昔このあたりは原始林であり、この巨木はその中の一本だそうです。とにかくびっくりする程大きく一見の価値はあります。
明治44年8月永井荷風が、この大徳寺から見た景色を「円形劇場」と言ったそうです。
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風頭公園(竜馬像) 長崎市街地を見渡せる
風と頭と書く位、山頂にあり、見晴らしの良い場所です。春になると桜が咲き乱れ、花見て一杯の桜の名所でもあり、坂本竜馬の銅像はこの公園にあります。竜馬が好きだった海が良く見え「よし、わしが日本を背負ってやる」とでも言うかのように見えます。男の私が見ても「かっこよか男ばい」と言うぐらいいい男です。
長崎ぶらぶら節
ハタあ、揚げぇするうならあ金比羅あ
風頭しぃ~らああ~
秋はぁお諏訪のしゃぎりでぇ氏子があ、
ぶ~らぶらぁ
ぶらりぃぶらあぶらあ~言うたもんだいちゆう~う
道中歌います
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亀山社中跡 日本初のカンパニー
慶応元年(1865年)伊良林の郷土草野家の庇護と小松帯刀の協力を得て、この地に日本初の商社「亀山社中」を営みました。「亀山社中」とは、伊良林地区の亀山という地名の所にあったのでそう呼ばれ、丁度山の中腹にあり回りが林に囲まれており隠蓑として、眼下の市内の様子が良く見えるからこの家を選んだそうです。
(長崎港、長崎東奉行所、そして長崎街道が見えた)
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鳴滝塾(シーボルト記念館)
文政6年(1823年)8月10日ドリーヘツステルス号で新カピタン、デ・スチュルレルと共に外科医シーボルトが長崎に来ました。すぐに出島で診療を開始しましたが多くの患者が出島へ入るための手続きがわずわらしいのでオランダ通詞中山作三郎の別荘を借用して開設して医学のために貢献しました。これが鳴滝塾です。
シーボルトは熱心に指導を続け、多数の門人に当時最新のロマン派医学を教え多数の最新医療器具を持参しました。
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鎮西大社 諏訪神社 長崎くんちの大舞台
長崎の氏神であり御神体は出雲大社の大国主命の息子建御名方命です。十月になると日本三大祭りの一つ「おくんち」が始まります。文化5年(1808年)フェートン号事件が起こり、時の長崎奉行はその責任をとって自刃し神社拝殿左側に図書明神(康平社)として祀られております。その偉人とは、長崎奉行松平康平であり、オランダ商館長がヘンドリック・ドーフです。
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眼鏡橋 日本最古のアーチ式石橋
17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。
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